小春ではなく、本物の春がにじりにじりと近づいて来ているような気がします。
春は訳も無く心がざわつきますね。
なんか、こう・・・なんかしなくちゃいけないんじゃね?こんな春眠貪って場合ではないのではないの?????そんなことを思いつつ休みにやることと言えば読書のネサフ。
まぁ、春は読書の場所が屋外になるって事位で、アウトしてもインドアな生粋の引きこもり白です。
外に出なければならない用事を出来るだけ一編に済ませてしまいたくて鞄がパンパンだぜぇ・・・になるよ。
ゴミも銀行も郵便局も買い物も・・・とか言ってると半日くらいすぐ経ってしまうのだよなぁ。
幼いころは、もっと1日って途方も無く長いものだった気がするし、1週間なんて遠い未来だったのに。
今は1日は飯作って食って仕事したら終わってて、あれ、今日何したっけな・・・って日記に書くことが仕事の内容と食事のメニューだけだったりする。
やめて・・・・空しくなるからやめてええええええええ!!って思うんだけど、日記は習慣だからつける。
日記って、普段は書くことねぇなぁってすごくくだらないことまで書くんだけど。(今日凄くぶさ可愛い犬見たとか)
書くこといっぱいあるときって、全然書かないんですよ。(オフ会とかオンリーとか・・・そんなんしかない)
○○さんと遊んだ!楽しかった!!!!え・・・それだけ・・・もっとあるだろう。
なんて、思う・・・・でも、記憶も案外そうかもしれない。
楽しいことは楽しかったなぁって曖昧模糊として、ふんわりとした記憶なのに、悲しかったり苦しかったりした記憶はやけに鮮明に鮮烈に1シーンを思い出すだけで心砕かれる。
人体てのは、うまぁく私たちを騙して上手に生きていけるように出来ているはずなのに、そこらへんどうなっているのでしょうね。それも、何か意味あることなのかしら。
なんてかーてと。日記つけてる馬子が萌えて仕方ないって話。
馬子さんはね絶対日記をつけている。間違いないね。
そんで馬子さんの1日ってのは、こう・・・キチンとしたタイムテーブルがあってだね、それに則って動いている。
毎日多少の誤差あれど、起きてから寝るまでのタイムテーブルは乱される事が無い。
もちろんその中には日記をつける時間ってものとられている。
それは寝る前の時間で、ろうそくのちろちろとした明かりの中で記されるものなんだけど、絶対狂わない馬子のタイムテーブルを唯一乱す存在がこの時間によく訪ねてくるんだ。
そんな日の馬子の日記はちょっと短く終わっているんだよね。
「夜半、来客あり」なんて
竹馬は熟年夫婦だからね、そこらへんの空気の読み愛はとても透き通っているのよね。
竹中さんは本当に気まぐれに何の周期も決まりもなく尋ねてくるんだけれども、馬子はなんとなくそれが微かな予感めいたものでわかったりする。
ざわざわとする感じ。
期待・・・とか高揚とかとは違うんだよなぁ。
難しい。
波立つこと無い水面に、僅かな水紋が広がるみたいな。
恋愛関係では無く、依存は無く、もちろん連理の枝などであるはずもなく。
互恵関係
なんて、今日読んだ本の受け売りだけども。
幼いころの馬子に「また会いに来るよ」なんて言い残して、「また」来てみたら50年からそこら経っていたなんてざらな話。
人の生は短く、あまりにも濃密である。
春は訳も無く心がざわつきますね。
なんか、こう・・・なんかしなくちゃいけないんじゃね?こんな春眠貪って場合ではないのではないの?????そんなことを思いつつ休みにやることと言えば読書のネサフ。
まぁ、春は読書の場所が屋外になるって事位で、アウトしてもインドアな生粋の引きこもり白です。
外に出なければならない用事を出来るだけ一編に済ませてしまいたくて鞄がパンパンだぜぇ・・・になるよ。
ゴミも銀行も郵便局も買い物も・・・とか言ってると半日くらいすぐ経ってしまうのだよなぁ。
幼いころは、もっと1日って途方も無く長いものだった気がするし、1週間なんて遠い未来だったのに。
今は1日は飯作って食って仕事したら終わってて、あれ、今日何したっけな・・・って日記に書くことが仕事の内容と食事のメニューだけだったりする。
やめて・・・・空しくなるからやめてええええええええ!!って思うんだけど、日記は習慣だからつける。
日記って、普段は書くことねぇなぁってすごくくだらないことまで書くんだけど。(今日凄くぶさ可愛い犬見たとか)
書くこといっぱいあるときって、全然書かないんですよ。(オフ会とかオンリーとか・・・そんなんしかない)
○○さんと遊んだ!楽しかった!!!!え・・・それだけ・・・もっとあるだろう。
なんて、思う・・・・でも、記憶も案外そうかもしれない。
楽しいことは楽しかったなぁって曖昧模糊として、ふんわりとした記憶なのに、悲しかったり苦しかったりした記憶はやけに鮮明に鮮烈に1シーンを思い出すだけで心砕かれる。
人体てのは、うまぁく私たちを騙して上手に生きていけるように出来ているはずなのに、そこらへんどうなっているのでしょうね。それも、何か意味あることなのかしら。
なんてかーてと。日記つけてる馬子が萌えて仕方ないって話。
馬子さんはね絶対日記をつけている。間違いないね。
そんで馬子さんの1日ってのは、こう・・・キチンとしたタイムテーブルがあってだね、それに則って動いている。
毎日多少の誤差あれど、起きてから寝るまでのタイムテーブルは乱される事が無い。
もちろんその中には日記をつける時間ってものとられている。
それは寝る前の時間で、ろうそくのちろちろとした明かりの中で記されるものなんだけど、絶対狂わない馬子のタイムテーブルを唯一乱す存在がこの時間によく訪ねてくるんだ。
そんな日の馬子の日記はちょっと短く終わっているんだよね。
「夜半、来客あり」なんて
竹馬は熟年夫婦だからね、そこらへんの空気の読み愛はとても透き通っているのよね。
竹中さんは本当に気まぐれに何の周期も決まりもなく尋ねてくるんだけれども、馬子はなんとなくそれが微かな予感めいたものでわかったりする。
ざわざわとする感じ。
期待・・・とか高揚とかとは違うんだよなぁ。
難しい。
波立つこと無い水面に、僅かな水紋が広がるみたいな。
恋愛関係では無く、依存は無く、もちろん連理の枝などであるはずもなく。
互恵関係
なんて、今日読んだ本の受け売りだけども。
幼いころの馬子に「また会いに来るよ」なんて言い残して、「また」来てみたら50年からそこら経っていたなんてざらな話。
人の生は短く、あまりにも濃密である。
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